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あの時あの選択をしていなかったら。

by chiharu


7月11日

検査結果を聞く日。父、母、弟の家族全員が病院へ揃う。
結果を聞くも、ステージやリンパへ転移しているかもわからない。わかったのは、他の臓器に転移はしてないということ。しかし婦人科系の異常が見つかったという。それは子供を産んでいない私にとって、何よりも恐れていたことだった。再度検査を行って、来週手術の方向性を決めることになった。

入院するにあたり、手続きを行う。個室はこわいから大部屋にした。薬剤師さんとの話のあと、今後の心のケアを担当してくれる看護師さんと個室で話した。

ここで、これまで無理して自分の気持ちを表現してこなかったことにまた気付かされる。私は幼いころから無理して笑っている、両親に心配かけたくないから。看護師さんにはわかっていた。その話をされて涙が勝手にあふれる。と同時に、今まで後悔してこなかった自分自身の人生に、後悔の念が生まれてしまった。

もしあの時、あの選択をしていなかったら、ここにいただろうか。別の選択をしててもこの病院にいただろうか。それとも病気に気づかずにもっと悪い結果になっていたのだろうか。

ある本では、ガンは約20年かけて生まれると書かれていた。それだったらまだ納得できる。小さいころから私は自分を大切にしていなかった。心を無視していたから。
でもこの数年の生活が原因で癌細胞が生まれ育ってしまっていたのだとしたら…。もう後悔しかない。

あまり考えないようにしないと、と思うこと自体がもうすでに感がけてしまっている、これもストレスになってしまうのかな。


「もう一人でがんばるのは終わりにしようよ」母からのメールが私の気持ちに追い打ちをかけた。

頭痛が激しい。


7月13日

MRIの検査。また造影剤の注射。もう慣れたけどやっぱり怖い。機械の中に20分。大きな音が鳴り響いていた。

このあとに入院のオリエンテーション。この時に読まされた冊子の内容で手術に対する怖さ、不安が大きくなった。

そして入院手術の代替の予算を聞きにいった。高額医療の限度額の制度があるため、手術も適用されるとのこと。

そのまま、ブルーボトルでゆっくりして、恵比寿で野菜をたくさん食べた。

そして、入院中少しでも快適に過ごせるようにと彼がpiquéを買ってくれた。

7月14日

この日も、彼が病院の中まで付き添ってくれた。今日は、20分間のビデオを見て手術時の麻酔についての具体的な説明を聞いた。


お腹の張りと腰の痛みが増していた。薬を飲むもあまり効かない。


7月16日

彼は川崎で仕事があるのにも関わらず、中目黒の家まで送ってくれた。私は家を掃除しようとしたが、疲れてしまって何もできない。しなきゃいけないのに体が動かない。夜は元同期と横浜で会う予定。この時間ぎりぎりまで自宅で座って過ごした。荷物を持って電車で横浜まで。横浜駅に着くと、ものすごい人混みで息苦しくなった。もう人混みの中を長時間歩くことはできないと感じた。

4年前、私が航空会社を辞めていなかったらまた違う人生があったことは確かだ。でもそこだけは、振り返りたくない過去。こうなった今だから。

川崎で仕事をしていた彼が迎えに来てくれて、中華街へ食事に行った。車の中から花火を見た。こういう「普通」の時間を過ごすことをしてこなかった丸4年間。電車の移動中にメールチェック、ニュースを読む。ランチは取らないことがほとんど、取ったとしても電話をしながら、資料を作りながらという状態だった。寝る以外は仕事しか考えてなかった。睡眠時間は平均3時間が続いていた。この4年で体を休めたのはおそらく10日間に満たないだろう。

一体私は何をしてたのだろうか。


chiharu
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